行き過ぎた勝利至上主義を問題定義して柔道の小学生全国大会が廃止になった。
そして「無くして正解」と思う人と「無くさないで欲しい」と思う人にわかれてる…。そんな勝利至上主義問題についてパパの目線は?を本日のテーマにした。
小さなころから習い事をするお子様が多いのは「体力づくり」「カラダ作り」「脳育」としては良いことだと思う。
但し、気を付けないといけないのは「正しいカラダ作り」が必ずしもスポーツ・競技で養われるわけでないことは知っておいた方がいいだろう…。
多くのスポーツ・競技を小さなころからひたすら頑張るだけだと「偏り」ができるからパパ的にはおススメしない。(偏りとは左右非対称なカラダの作り・筋肉のインバランスなど)
これは「勝利至上主義」に関係なくである。
そこで本当に大切になるのは「ファンダメンタル」と呼ばれる「カラダの基礎作り」を別件で行うべきだとは思う。
それがパパのお仕事のようなトレーニングであったり、武道でいう基本稽古や型稽古であったり、外遊びであったりするのだろう。
と話が脱線してしまったけど「勝利至上主義」について考えていきたい。
子供が習い事を初めて試合に出るようになると親としては勝って欲しい・勝たせたいと思うのが親心であって当然な気持ちだし、むしろ子供愛に溢れているといえよう。
だから「勝利至上主義」に関係なく親御さんがお子さんをサポートしてあげることは悪いことではない。
しかし、中には熱い親御さんも当然見える…。
パパも初めて我が子があまりにも弱すぎて先生に直談判して空手の『居残り稽古』に参加した時はその光景に度肝を抜かれた(笑)
それが良い悪いではなく親御さんが子供さんと居残り「やや熱めの声援」をかけていた💦
なんてすごい世界があるのだろう~とただただ驚いた。
パパはその頃すでに子供のコーチングの本を少し読んだりしていたし?自分にはない感覚?だったから「ある程度優しい目」で子供を見れたと思う。(罵声や罵倒などは決してしていない)
というよりも完全アウェーな世界だったからこそ「子供を守ろう」としたのが功を制したのか?
だから目くじらを立てて怒ることはなく「怒ると叱るの違い」を理解していたつもりではある(笑)
更に空手の試合ともなるともっと凄い光景が見られた…。柔道界がいう「罵声」「罵倒」は空手も同じだと思う。(競技によりけりかもしれないが…)
しかし、あまりにも酷いと思っても怒られて泣いているお子様を横目で見て「各家庭の問題」として見逃さざるを得ないのが現実ではなかろうか?
だからものすごーく可哀そうなお子さんも見えるのだと思う。
そんなこともあってか先生の多くは「親を介入させない」方向に向かうのも致し方ないのかもしれない。(ちなみに我が子の恩師は親は子供と一緒に成長するべきだから見るべきだと考える先生だったからパパは介入できた)
また勝利至上主義で間違った方向へ行ってしまうのは「勝つための術」を早々身に付けようとしてしまうことだ。
「勝つことに注力し過ぎて」大人と同じような見様見真似の動き、ぐちゃぐちゃでも何でもありの動き、得意なことだけを繰り返す動き、小手先のテクニック的な動きetcに…。
その弊害は大きくなってからも通用するような「正しい動き」がカラダにインプットされないまま子供さんが成長してしまうのだと思う。
更に、間違ったトレーニングや鍛錬を子供に強いれば「正しい動き」ができる「カラダ作り」などできるわけがないのである。
トレーニングの観点からいうと「正しい姿勢で正しい動きができる」ことでカラダへの負担は減るし力が発揮できるのだ。
それが結果、怪我や故障の予防になるしパフォーマンスの発揮に繋がるのである。
ということから「勝利至上主義」は後々のお子さんにはマイナスを与えることになるのかもしれない・なりやすいのかもしれない。
だけど「成功体験」と「失敗体験」を学ぶことは今のお子さんには必須だとは思うから「試合」そのものはあっていいのだと思うし「試合に出る」ことから学ぶこともある。(試合には出なくていいという先生もみえるが…)
結論的には「勝利至上主義」に警笛を鳴らす意味で全国大会を廃止することは正しいのかもしれないがだからといってそれで子供が伸び伸びした環境でスポーツができるようになるわけではないのだろうと思う。
これって凄く難しい問題だけど我が恩師がいってた「親が学ぶ」の真意がそこにあるのかもしれない…。
幾ら試合を無くしても「勝ちたい子供さん」「勝たせたい親御さん」は見えるだろう…。しかし「体罰」「罵声」「罵倒」が子供の心・成長にマイナスに働くことは間違いないから警笛を鳴らした柔道界は素晴らしいのかもしれない…。
コメント